プロフィールページをご覧いただき、ありがとうございます。
『ワンルーム投資スクール』の創設者である大橋亮太と言います。
この場をお借りして私がどういった人間なのか、お伝えしていきますね。
お付き合いいただけば嬉しいです。
毎日メールマガジンを書いています
「人生の成功哲学」というタイトルで、日々の生活で学んだ「人生を成功させるための考え方」を毎日発信しています。
バックナンバーも公開中。是非こちらからご覧下さい。
会社の経営をしています
2014年にサラリーマンを辞め、2015年に株式会社ムーブウィルを立ち上げました。
会社を作ってから3年。
おかげさまで、紹介を中心に順調に成長していってます。
不動産投資をしています
サラリーマン時代に、不動産投資に興味を持ち、実際に購入してきました。
会社を立ち上げる時、本当にお世話になったのが、この不動産から得られる家賃収入です。
不動産の購入サポートに特化した活動をしています
この不動産投資プロの運営をしています。(2019年1月から鈴木氏が運営)
購入サポートに特化しているのは、それが顧客満足の最大化につながるからです。
違う言い方をすると、買いと売りの両方の仲介をする限り、顧客満足度を最大化することはできないと考えています。
不動産業の経験がない不動産会社です
新卒で総合商社の三井物産に入りました。そこで扱った商材は船。
不動産とは似ても似つかないですよね。
だからこそ、フラットに不動産業界業界を見ています。
海外のビジネスマンと交渉していました
海外研修に行き、文化や背景が違う人と膝を突き合わせて交渉をしてきました。
この時の経験が、今の仕事における交渉業務に生きています。
事業承継のお手伝いをやっています
ちょっとしたご縁があり、事業承継のお手伝いをやっています。
いわゆる会社の仲介です。
若手経営者の会。という会を主催しています
若手の経営者や、これから経営者になりたい!と考えている人達のプラットホームとして、若手経営者の会という会を立ち上げ、月に一回飲み会をしています。
楽待のコンサルタントとして紹介されました
日本最大の収益物件ポータルサイト「楽待」に不動産コンサルタントとして掲載して貰いました。
不動産投資への本音を語っています。
経歴です
幼少期
神奈川県相模原市で生まれました。
小さい時から人見知りが激しく、すぐに泣いてしまう子供だったようです。。
小学校
親が転勤族ということもあり、3つの小学校を転々としました。
最後は小学6年生の2学期に引っ越し。。
卒業アルバムには、残念ながらほとんど思い出が残っていません(泣)
中学校
県で唯一の中高一貫の男子校に通いました。
バスケをしながら家に帰ったらゲーム。という毎日でした。
このときにハマったのが、シミュレーションRPGと格闘ゲームです。
高校
同じメンバーと高校へ。
相変わらず格闘ゲームが大好きで、毎日のようにゲームセンターに行ってました。
大学
上智大学理工学部に進学。
ずっと男子校だったので、大学でも男だけの空間はいやだ!というのが上智大学進学の理由です。。
しかし、所属していた機械工学科は男子110人、女子5人というバランス。
そして入った部活は男子ラクロス部。
男まみれな毎日を過ごしていました。
やはり思い出部会のはラクロス部での活動でしょうか。
学部時代にOB訪問をした先輩がかっこよかったという理由で、三井物産を就職活動の第一志望に。
しかし、準備不足で一時面接で敗退。どうしても三井物産に入りたかったので、リベンジをするために大学院受験を決意。
大学院
受験をして早稲田大学に進学。大学院の試験に落ちたらニートという崖っぷちの選択でした。
ここで出会った教授が本当に素晴らしい方でした。
「研究よりも、就活して良いよ」と背中をおしてくれ、就活にのめりこみました(笑)
おかげで、三井物産から内定を取得。晴れてリベンジを果たすと同時に、頑張ればなんとかなる!という実感が生まれた瞬間でした。
社会人
とにかく修行だ!という考えの下、三井物産でも一番厳しいと言われる船舶部を希望。
無事に?船舶部に配属。
正直、尋常じゃないほど大変でした。
優秀な先輩と同期。あまりの力の差に愕然としながらも、なんとか追いつかなければ!という思いで、朝7時から12時まで働くという生活を1年間続けました。
副業の開始
死ぬほど働いたつもりだったのですが、実際はただ空回りしていただけで、新しく来た上司に「お前は何も身についてない。」と言われました。
このとき、自分の中で少し何かが変わった感覚を覚えました。
そこで、いつ会社をやめてもよいように、副業である不動産投資を始めます。
5年かかり、なんとかすぐにはお金が無くならないような基盤を作ることができました。
起業
退職後、会社を立ち上げました。
会社を立ち上げてから3年。楽しい思い出も辛い思いでもたくさんありますが、とにかくお客様のためになることをする。ということを念頭に動いてきた結果、会社も安定してきました。